アドラー心理学 共同体感覚 雑考
元々ドイツ語であり、それを理解するには、ドイツ語の発生段階、その文化的背景を深いところから理解している事を前提にしてないと、正確なことはいえないだろう。と思った。
私が90年代ボストンで歯科を研究をしていた頃、インプラント科に同世代の日本人の友人がいて、そいつのボスはドイツ人だったので、結局その後ミュンヘンそして、ベルン大学で研究をしていた。
後日 私は2か月ヨーロッパ旅行をした過程で、ベルンでその人の家に何日か泊ったのだが、
その時その人がいうには、アメリカ人とドイツ人は全く違う。アメリカ人はフランクで実績主義だが、ドイツ人は朝からきちっといかなければいけないし、冗談もいわない。何をするにもいちいち言葉で細かく説明しなければいけない。と言って少しノイローゼ気味になっていた。(歯科インプラントが日本であんなにはやったのは、こいつのせいである。。)
そんなことだから 日本語しかできない日本人が、ヨーロッパドイツ語圏文化にもとづいた中核的考えを理解するのは ミスアンダスタンドになるしかないだろうし、せいぜい不正確である。しかも ドイツ語と日本語は 低・高コンテクスト言語・文化として対極である。
さらにアドラー心理学が準構造主義をとっていることを考えると なおさらである。
Social interestとアメリカの学会が用語を統一しても同じことであろう。
共同体感覚という(全人類)共通了解はとりうるのだろうか。
日本の研究者はいろいろな人がいて、宇宙的なものとか、その人各々種々考えを進めている人がいるが、それらは私的なもので、しかも推量でしかない。(考察する意味はあると思う)
また別の研究者の共同体感覚尺度も私にはよくわからない。一次尺度 二次尺度 その前提と諸要素は、昔でいう多変量 相関をとっているのだろうが、個人個人で概念が違う言葉や行動で正確なものがとれるのだろうか。(しかも心理学の尺度は なぜあんなにあるのだろうか。。というのも歯科医としてある)
それ以前に 共同体感覚自体が、意味や実際において、人それぞれだし、その言葉の意味が分からない人、また共同体感覚が多い人 少ない人 ない人もいるだろう。
私においては、アドラー心理学を始めた当初に野田先生に聞いたことがある。(本当に初めてアスミに参加した時である)
そうしたら、「日本においては、たぶん ●●に共通了解がとれていると思う」
とおっしゃっていた。それがずっと私に残っているし、その時も今もそうだろうと思っている。
●●については、アドラー心理学東京グループで。。(笑) 失礼しました。というか、野田先生もいろいろ進化されるので、こちらでは明記しません。すみません。
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(その後頂いたSNSコメントやご意見)
●岡山理科大学教授 中島先生
このように、色々と決定せず???とやっていくことが大事なんだろうなぁという結論でお茶を濁してしまう私でした(汗)
私) どうも(いつも)すみません。。
●明治大学講師 浅井先生
医学(歯学)領域とはパラダイムが違うのだと思います。
注釈 パラダイム=(科学上の問題などについて)ある時代のものの見方・考え方を支配する認識の枠組み。
私) すばらしいお答え。学者様や。。私も25年前そうだった。。(泣)
尺度はたくさんあるが、臨床的に有効というエビデンスがでているとも、おっしゃっていたかも。。