私のパニック障害と各種カウンセリング・心理療法体験1 森田療法2

いよいよ電車が乗りづらくなって、何しろドアが閉まるとすごく焦る。脈拍が140ぐらいになるし、あぶら汗がでる。
特に電車が停車駅でもないのに途中で急に止まると、心臓がバクバクドキドキした。いつ電車が動き出すかわからないとなると尚更である。

よって、私は秘策をうみだした。
それは先頭車両の運転席の後ろから進行方向の信号機の色をずっと見ているということであった。
赤だったら止まるんだろうがそれは予測できたし、青だったらとても安心であった。
(てっちゃんでもないのに、今から考えたら迷惑な話である。すみません)
(実際は てっちゃんがいた場合 その後ろから ひかえめに 見ていた)

そして、その後その秘策は変化した。
何かあったら車掌さんに助けてを求められるよう、後尾車両 車掌さんのいる窓のところで立っている。というものである。
(実際は一度も助けをもとめたことはないし、助けを求めるほど具合が悪くなったこともない)

仕事は別に普通にしていた。しかし、もしかしたら効率は落ちていたかもしれない。

当時 私の仕事のメインは大学で、その後に色々な場所で私の専門の患者さんを集めてもらって、私が治しにいくというものであった。
アルバイトとしていろいろな院長のところに電車でいくのだが、それがつらかった。

私は学生時代遅刻魔であったが、そのアルバイトにおいて欠席や遅刻をしたことは一回もなかった。
鉄の扉に親指をはさんでしまい砕けかけていた時も、整形外科から直行して普通に仕事した。

(社会人だから当然といえば当然だが、人間突然変身して負担がないことはないのではないか。
アドラー心理学の前提にすべてあてはまる)

私は、もしかしたら精神もこのままおかしくなるのではないかという不安も出てきて、森田療法でいうところの臥褥療法を自ら行った。
やっぱり退屈になってきたもので、ずっと寝ていられない。

日記においては、ただ自分で書いていただけなので、認知行動療法的であった。
のちに行うアドラー心理学でもドキュメントは推奨されている。

あと森田のいう 「よりよく生きる」「生の欲求」が強すぎるということはなんとなく自覚できた。
これが漠然としているのがいけない。
自らのはっきりしない目的を追い求めて自らを消耗する人が結構いることを 以後アドラー心理学をやってから知る。

大正時代に集団的にこういう治療している先生がいたなんて、すごいものだと思った。

森田先生は慈恵医大だそうだが、私は日頃から 慈恵医大というのは偉いものであると思っていた。
理由は以下である。

日露戦争の時、日本陸軍の戦死者約4万6千人、傷病者35万人であり、そのうち脚気患者25万人という驚くべき数字になる。 しかも、戦病死者3万7千人中、脚気による死者が約2万8千名に登った。
その時の責任者 陸軍軍医総監は森鴎外であったが、白米を採用し続けたせいである。
当時は脚気の原因ははっきりとはわかっていなかった。

日本陸軍に対して日本海軍は、どうも白米は具合が悪そうである、西洋の兵隊は脚気は出ていない。
ということで洋食+麦飯を採用し、脚気の兵士は激減した。その時の海軍の責任者が高木兼寛という後に慈恵医大を作った人であった。

これは森鴎外の罪であるが、文学などやっているからこんなことになったのではないか。と私は高校の頃から思っていたものである。
責任者は責任に集中すべきである。

また、森田先生の面白いところは、当時 狐憑きなど(オカルト的)の研究のため実際に地方など現地にいって調査をしていた ということであった。オカルトと精神医学の境界が不明確であったところに挑んでいったところも面白い。

さらに、アドラー心理学派の私としては、森田先生が当時からフロイト派と論争していたというところも面白い。

森田療法に関する本は前述のようによく読んだ。森田先生の文章はすばらしく、勝手に田宮虎彦・久米正雄的であると思っていた。
大原、長谷川、辻村先生のものなども読んだ。
楽天主義セラピーは、まだ神経症がなく森田療法に至る前に偶然読んでいて、森田療法と関係するとは思っていなかった。

森田療法体験記も読んだ。
その中でも 一流企業幹部の人が書いたそれは、その人が超人的根性で森田療法を邁進していくのであった。
その過程において、激やせしても日常を森田療法に則して邁進し続ける姿は、一人部屋で読んでいるだけでもあぶら汗が出てきて、勇気づけられるがしんどいものであった。

先生には 作業所は厳しいから行かないほうがいいよ。と言われるし、一人で日記を書いても自分しか読み返す人はいないし、体験記を読んであぶら汗を流しているだけで、一人では難しいので 以前より興味があったユング心理学に行くことにした。

アドラー心理学は一人で学べないというし、今の私の意見でもあるが、これも同じであった。
自分のライフスタイル(アドラー心理学用語)は自分だけで変えることは不可能であるといわれている。他人の意見が重要である。

森田療法の先生ともっとよく話せば、森田療法の軽めのグループも紹介して頂いたかもしれないし、
今から考えたらそういうことも先生は示唆してくれていたような気もする。
私が森田療法を本格的に作業所を体験する。ということにとらわれていたので、よく耳に入らなかったのかもしれない。
とらわれ だし、アドラー心理学的には、コミュニケーション能力不足である。

いずれにせよ、森田療法において私は落第であった。

これを書くにあたり森田療法の本は読み返してない。思い出してしまうので。。
よって実際はほとんど忘れてしまっている。
かといって、全部の本を捨てる気にもなれない。 まだまだかもしれないですね。。

森田療法に関しては 私が説明すべくもなく、
以下を参考にされたい

森田療法
最近では すばらしいことにYouTubeで良質のものがただで見ることができる。私もたびたび拝聴している。
mental-health-org
森田療法の先生方や体験者さんは 不思議とみな上品である。どっかのカウンセラーやコーチと違う感じである。

私は森田療法はアドラー心理学と親和性が高いと勝手に思っているし、
表現力がないので、よく表現できないが、
森田療法は 日本人の(いい)ところを前提したようなところや抽出したようなところがあって、日本(的)療法といってもいいような気がする。
日本民族のつむいできた(いい)価値が前提にあるような気がする。